2005年02月25日

K問題考察 その11 追記

分からない点(ゆえにまとまらない)を書いておこう。

S氏が謝罪や反省をすることは理想。
S氏が謝罪や反省をしていないことは現実。

では現実を理想に近づける方法は?
S氏次第であることは確かではあるが。。。

分かんねぇ〜よ〜 ヽ(`Д´)ノウワァァン!!

賢者様の御意見を伺いたいと思います。
なので、「かざきり羽」と書いてみる。

by uss_cv_41 | 2004-11-26 23:33 |


K問題考察 その11

謝罪や反省は、するものではなく出来るものであり、
それに至る過程がある。
過程をたどる時間は人それぞれである。

S氏を説得していた人がいたと仮定する。
批判することよりも説得することの方が難しく、
かつエネルギーを必要とする。
過程にかかる時間、すなわちS氏との信頼関係を
築く時間等が長過ぎて疲れてしまうのではないか?
特に文字だけでのやり取りならば尚更であろう。

*****

K問題を自分の中でまとめてみようと考えたが、
どうにもうまくまとまらない。ヽ(`Д´)ノウワァァン!!
今はまとめる為の過程なのではないかと考えている。
同様に自分の中でS氏を真の意味での反面教師と出来る
過程なのではないかと考えている。

K問題についての考察?は一旦終了する。

難しいから逃亡しますた。 |彡 サッ

by uss_cv_41 | 2004-11-23 14:31 |

K問題考察 その10

自分の言葉は自分に跳ね返ってくる。

他人に変われと言っておきながら、
自分は〜だから変わらない変われないと言うのは
矛盾した発言であり、他人から批判されて当然のことである。
オレダナー

自分には許されて他人には許されない言動など
基本的には無いのである。
しかし(例えば)他人からの同意が得られにくい
「自分が正しい」「自分が優れている」「自分が上」等の
思考や観念が強過ぎる場合にはこの矛盾に気がつきにくい。

例の猛毒発言はS氏の他の言動とは矛盾した発言である。
S氏はこの矛盾に気がついているのであろうか?
猛毒発言がS氏自身に跳ね返ってきているという意識を
持てているのであろうか?

矛盾した発言は自分よりも他人の方が気がつきやすい。
ネットは公的な空間であるから、前に出るほど
矛盾した発言に対する批判の数が多くなるのは自然である。
批判の数を増やすのも減らすのも自分の自由である。
しかし自由度が少なければ。。。

by uss_cv_41 | 2004-11-21 13:51 |

K問題考察 その9

人と人との間の空気や雰囲気は、
人が誰でも持っている自己中心的な部分の抑制装置となる。
相互関係によりこの抑制装置は強弱の変化をする。

相手の顔が見える場合と見えない場合とでは、
感じる空気に違いがある。
ネットの場合、抑制装置が弱くなり自己中心的な部分が
出過ぎてしまう場合がある。

自分の考えが自己中心的な考えであるかどうかの判断は、
自己評価だけではなく多数の他者評価によって判断される。
ネットの場合、自分にとって不都合な多数の他者評価を
無視することが出来やすい。
ネット空間が広大であることもその要因の一つである。

ネット上での自己中心的な人に対しては、
批判や説得等の圧力をかけることは出来るが、
それらを受け入れるかどうかはその人次第の部分が大きい。
その人の自由度が大きいとも言える。
また他者は基本的にそれらを受け入れさせる強制力は
持ってはいない。
制御装置は相互関係により強弱の変化をするものであるから、
結局はその人の自己中心的な部分の強さが問題となる。

自分に自信を持っているから自己中心的になるのではなく、
自分に適度な自信が持てていないからこそ
自己中心的な状態でなければ耐えられないのである。
しかもこれは理屈ではなく感覚である。

S氏が日記や掲示板を廃止したのは、
反省し学んだからという部分は少なく、
批判の多さから圧力を感じたからであると考えている。
故に圧力感が取れればまた同じことを繰り返すと考えている。
この考えが間違っていれば良いのだが。。。

K問題はS氏が変わらなければ続くと考えている。
つまりS氏次第、S氏の自由である。
しかし。。。う〜ん、何と言うか。。。

by uss_cv_41 | 2004-11-19 00:34 |

K問題考察 その8

過去の自分の発言と矛盾した発言をする場合がある。
自分は矛盾していることに気がついていなくても、
他人から見ればすぐに矛盾と気がつく。
その矛盾の程度が大きいほど、他人の反感を買い、
信用信頼を失ってしまう。

一度失ってしまった信用信頼を回復するには時間がかかる。
謝罪することは信用信頼を回復する時間を
早くする為の方法である。
しかし謝罪出来ることは結果である。
矛盾した発言であったことに気がつき、
それを認め受け入れる過程がある。
しかしこれも結果である。

結果だけしか見えていないという程度が強ければ、
過程や流れが見えにくくなる。
無自覚で矛盾した発言をしてしまう要因の一つに、
このことがあるのかもと考えている。

by uss_cv_41 | 2004-11-13 00:57 |

K問題考察 その7

自分が他人に認められたいという願望は人間ならば必ずある。
認められれば嬉しいし認められなければ悲しい。
悲しみが怒りに変わる場合もある。

他人に認められたいという願望があまりにも強過ぎると、
「他人は自分を認めるべきだ、認めるのが当然だ」的な
意識となってしまう場合がある。この意識は無自覚的である。
そして認めてもらえなかった
(<他人が自分の思い通りにならなかった)
と感じた時の怒りや悲しみの感情が激しくなってしまう。

そしてこの願望の強さからの言動は、
他人からは認めてもらえない言動となってしまう。
悪循環である。
支配や強制をしても認めてもらった感を
恒常的に感じることは出来ない。

しかしこの願望の強さは原因ではなく結果である。
この願望が過剰に強くなってしまう何らかの原因がある。

他人はその原因についての指摘は出来る。
しかしその原因を何とかすることは自分本人にしか出来ない。
原因は外部だけではなく自分の内部にも必ずある。
そしてその原因は一つではなく複合的である。

by uss_cv_41 | 2004-11-08 02:03 |

K問題考察 その6

S氏の言動を見ていて、
「S氏自身が同じことをされたらどう思うのかな?」と思う。
おえびの削除祭り等、S氏が他人から反感を買う様な言動は、
怒りに任せてやってしまった部分が大きいと考えている。
これは他人のことなど考えられる状態ではなかったであろう。
もし熟慮の上での行動ならば、自分には理解不能である。

ある物事の見方や捉え方によって、
怒りの感情は大小強弱の変化をする。
また怒りの感情を感じる頻度も変化する。
例えば他人が自分の思い通りにならないので
怒りの感情を感じることは人間として自然ではある。
しかし「自分の思い通り」の内容や基準により
怒りの感情の大小強弱や頻度が異なる。

物事の見方や捉え方には個人差がある。
しかし見方や捉え方の内容や基準は、
はっきりと言葉にも文字にもなっていない場合が多い。
見方や捉え方は無自覚的に身についているものである。
自分が気がつけて初めて言葉や文字となるものである。
ところが気がつけたとしても比較となる別の捉え方を
受け入れなければ、現在の捉え方の不都合さは分からない。
その見方や捉え方が自分の何かを守っているもので
ある場合は、別の捉え方を受け入れられないであろう。

見方や捉え方は原因ではなく結果である。

by uss_cv_41 | 2004-11-08 02:02 |

K問題考察 その5

批判の内容や仕方の問題は別の話として。

人間であるから間違いや失敗は必ずある。
間違えて失敗して批判された時に、
その批判を受け入れられてこそ学んでいける。
この過程には嫌なことや辛いことの感情感覚が伴う。
感情感覚であるから強さには個人差がある。

1の批判を100の批判と捉えてしまうことがある。
ある言動そのものに対する批判であるのに、
自分の存在を全く否定された様に捉えてしまう場合である。
この様な状態の人が批判された場合には、
萎縮し過ぎてしまうか反撃し過ぎてしまうかの
両極端になってしまう。

自分の言動を棚に上げて自分だけに通じる論理で
批判を封じ込めようする行為をしてしまうのは、
上記の場合が多いのではと考えている。
間違いや失敗の概念観念がない場合もあるが。。。

他人からの適度な批判は自分が成長する為の糧である。
しかし糧を食べ消化するのは自分である。
食わず嫌いや偏食や消化不良は問題である。
とは言うものの。。。

批判の捉え方も批判を受け入れることも結果であり、
結果に至る原因と過程がある。
これは自分で自分と向き合わなければ分からないことである。

S氏がこのことに気がつき、
自分と向き合う気にならなければ、
同じことを繰り返すであろうと考えている。

オレモナー。。。

by uss_cv_41 | 2004-11-04 23:32 |

K問題考察 その4

自分の考える他人や社会のあるべき姿(理想)がある。
他人や社会からも共感を呼べる理想であっても、
その実現に年単位や世代単位の時間が掛かることがある。

時間の概念を持てずに「今すぐ理想状態にあるべき」という
思考が強い場合は、理想と現実の適度な距離感が
取れていない。
これはその人にとっては辛いことである。
何らかのマイナスの感情が強い状態である。

S氏が考える他人や社会のあるべき姿は、
他人や社会からも共感を呼べない理想が多いように思える。
当然、理想と現実の適度な距離感も取れていない。
S氏にとってはさらに辛いことである。
しかしこの辛さは、他人からは身勝手な辛さと
思われるものであろう。

理想と現実の適度な距離感を持てる為には、
現実を見られなければならない。
理想(夢)の世界に浸っている状態では、
現実は恐い悪夢の様に想えてしまう。
だからこそ理想(夢)にしがみついてしまう。
他人から信用信頼を失う様なS氏の言動は、
現実から逃れ理想(夢)にしがみついているからこそである。

しかし現実が恐い悪夢の様に想えてしまうのは、
現実をある偏った価値観で捉えているからである。

例としてKでの今回の企画への投稿数を、
少ないと捉えていれば現実は恐い悪夢となるが、
多いと捉えていれば少ないと捉えている場合より楽である。

しかし捉え方はするものではなく出来るものである。。。

by uss_cv_41 | 2004-11-03 23:53 |

K問題考察 その3 追記

価値観(考え方)の変化の仕方について別表現をしてみる。

自分にとって全く新しい価値観が身についていく過程は、
知る→(取り合えず)受け入れる→染み込んでいく→身につく
である。
新しい価値観が身につく為には時間が掛かるのが事実である。
新しい価値観が身についていくと共に、
現在の価値観が過去の物となっていく。

現在の価値観と新しい価値観との距離感が小さければ、
抵抗感は小さいので身についていく為の時間は少ない。

しかし現在の価値観と新しい価値観との距離感が大きければ、
抵抗感は大きいので身についていく為の時間は多い。

距離感や抵抗感という感覚であるから個人差がある。
人によっては巨大な距離感や抵抗感となる。
その為に時間が全く進まない場合もある。

現在の価値観が過去のものとなって、
初めて捨てることが出来る。
のではなく、小さくなって忘れていくのが事実。
捨てないで持っておいた方が良いものもある。

気がついたら価値観や考え方が変わっていた、
というのが現実である。

S氏の場合、謝罪や反省の価値観を知ってはいるであろう。
しかし受け入れるという所で時間が留まっていると考えている。
謝罪や反省には自己否定感が必ず伴う。
これは変化への抵抗感を大きくするもの。。。

by uss_cv_41 | 2004-11-01 23:18 |
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